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清涼院(せいりょういん、? - 弘化4年1月25日(1847年3月11日))は、江戸幕府の12代将軍・徳川家慶の側室。俗名は久、または定。 父は幕臣・押田勝長で、11代将軍・徳川家斉の側室で家慶の生母である香琳院の姪であるとされる。部屋子となった後、西丸御次、中臈となる。家慶の側室・秋月院も親類にあたるという説がある。 家慶との間には文化11年(1814年)に長女・達姫、文政2年(1819年)に次男・嘉千代を出産するが、いずれも夭折した。文政8年(1825年)に五男・初之丞(後の慶昌)を出産した。 弘化4年(1847年)1月25日に死去した。戒名は清涼院浄譽呑梁妙薫大姉。 == 参考文献 == * 雲村俊慥『大奥の美女は踊る』 PHP研究所、2006年 * 高柳金芳『大奥の秘事』 雄山閣、2003年 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清涼院 (徳川家慶側室)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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